【みわざのために】 コリントの信徒への手紙二 9章6節~15節
神のみわざのために、そして神の御業によって、わたしたちむさし小山教会は七十五周年を迎えました。
教会の歴史、教会史によると、1951年(昭和26年)9月に開拓伝道を開始し、9月16日が教会創立となっています。
第二次世界大戦前には「荏原中延協同基督教会」の時代がありましたが、戦時下にあってしばらくの間、教会としての活動は休止されていました。
会堂が強制疎開にあい倒されてしまったことにより、初代牧師・小林寿(ひさし)牧師は、自分の牧師としての使命は終わったと思っておられたのです。
しかし、日本で約六十年間伝道をされたクリスチャン・ミッショナリー・アライアンスのアメリカ人宣教師ミス・フランシス師から 「牧会伝道は充分にできなくても、人を愛することはできるでしょう」 という言葉がきっかけとなり、牧師として新たに決意をされたとのことでありました。
その後、ここ武蔵小山に土地が与えられ、教会は日本キリスト教団むさし小山教会として歩み出すこととなりました。
戦後の混乱がまだ残っていたことでありましょう。
人々が生活の再建に追われるような時代、この地においてキリスト・イエスの愛をたよりとし、喜びとあたたかさのあふれる教会を祈り願い、伝道を力強く進めることとなったのであります。
教会設立から六年後には、小山台高校講堂にて賀川豊彦特別伝道礼拝が開催されています。
祈りと交わりを通して地域に仕える教会であり、人々の心の拠り所としての教会、また子どもたちの教会学校も開始され、幼稚園も開園されました。
子どもたちの遊び、歌う声もあふれ、多くの人々が集うこととなりました。
時代もやがて経済成長期に入り、大きな商店街を擁するこの町にも新しい建物が立ち、道も整備されました。
教会にも新しいキリスト・イエスの名による兄弟姉妹が加えられ、神の家族である教会の会堂は次第に手狭になっていったのであります。
神の家族である教会の兄弟姉妹は祈りを重ね、献金を捧げ、今あるこの会堂・園舎を建て上げたのでありました。
教会、教会学校、幼稚園と、キリスト・イエスの名により礼拝を献げ、賛美の歌をうたい、子どもたちの元気な声も響き、わたしたちの教会は歩んできました。
日曜日、主の日の公同礼拝、教会学校、そして毎日の幼稚園を通して、地域の方々との交わりも広げられてきました。
子どもたちの成長を見守る保護者の方々同士の交わりや、季節ごとの行事などを通して、わたしたちむさし小山教会は種をまき続けています。
聖書の物語を共に聞き、学び、賛美を捧げ、教会学校の教師方々は子どもたちの心に寄り添っています。
クリスマス、イースター、ペンテコステ、そしてサマーキャンプなどを通して、皆ともに歩んでいます。
讃美歌第二編78番には「イエスさまが教会を」という讃美歌があります。
「イエスさまが教会をこの世から選びとり」と始まり、3節でこう歌っています。
「主のみ手に守られて、みなともに成長し、こどもらがこの家を、巣立ちゆくその日にも、愛の主よ、み救いの、よろこびをあかかしして、かぎりなくりなくみこころに、そうものとしてください」
という祈り願いをわたしたちは心にしていると言えます。
大人の方々も、ご高齢の方々も、その祈りと願いと讃美は、神の御心にかなうように、神の喜びがあるように、そして神のあたたかい愛が豊かにあるようにということであります。
むさし小山教会七十五年、教会は多くの先達者の方々と兄弟姉妹方々の祈りと奉仕によって守られてきました。
椅子を運び、机を運び、讃美歌を分け合い、聖書の御言葉を分かち合ってまいりました。
たとえ素朴であっても、簡潔であっても、祈りとあたたかい交わりをもって支えられてきました。
決してすべて順風満帆だったということではありませんでした。
時には困難があり、思い通りにならないということもあったことでありましょう。
しかし、すべての出来事に主はおられたのでありました。
「主はこう言われる。創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その名は主。」であります。
七十五年という年月は、ただその長さを物語っているのではありません。
そこには多くの祈りがあり、多くの奉仕、多くの涙、そして多くの喜びがあったのです。
ここには実に数えきれないほどの神の恵みと慈しみが積み重なっていると申し上げることができます。
新約聖書コリントの信徒への手紙二4章16節から18節にある通りです。
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、『内なる人』は日々新たにされていきます。わたしたちの一時の軽い困難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」
むさし小山教会初代牧師・小林寿牧師は、1974年(昭和49年)7月14日に天に召されました。
その教会葬の際、アライアンス教団の伝道者・松山静先生が弔辞を述べられ、小林寿牧師の証しをされたという文書があります。
「私の最初の伝道地、広島県上下町の天幕伝道の最後の日に、県に勤務されていた小林さんという方が来られ、集会の最後に、『東京の姉の主人が重体で危篤ですので、ぜひ祈ってもらいたい』とのこと。
ミスター・フランシス先生とその他二名の兄弟と四人で祈りました。(その夜、東京では大奇跡が起こり、まもなく退院されたとのこと。)
それから後の小林寿先生は、主の方に心が向かい、間もなく導かれて入信され、ついに献身し、一切を捨てて主に従われて今日があること。
その他、さまざまことのためにどんなに先生が祈られたかなど、いろいろ語りました。
このむさし小山教会は、もとは荏原中延にありました。
昭和二年(1927年)、福山教会で開催のアライアンス教団予備年会の時、東京進出を決心された山本柳吉先生が東京・荏原の蛇窪に開拓伝道をされ、ついに荏原中延によきところを得、その地でご奮闘ののち召天されました。
その後任として小林寿先生が任命され、堅き土台の上にいよいよ祝福を受けられましたが、建物疎開のためどうしても移らねばならなくなり、今の土地を与えられました。」
わたしたちの敬愛する先達者の方々が、みわざのために築いてきた信仰の土台の上に、今日、わたしたちは立っています。
そして同時に、わたしたちはその始まりに立っていると言えます。
ここに集いました敬愛する兄弟姉妹一人ひとりが、神のみわざのために物語を、聖霊に導かれ、つむいでいるのです。
人々の罪の赦し、人々の救いのために、十字架におかかかりになり、復活された主イエス・キリストと、神の御心により使徒となったパウロはこう述べています。
「わたしたちは自分自身を述べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身はイエスのためにあなた方に仕える僕なのです。」
そしてそのパウロ自身の心の内についてこう語っています。
「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」
パウロは人の栄光ではなく、神の栄光の輝きを心の内に与えられたのでありました。 そしてその神の栄光が一人ひとりに現わされるように、神のみわざが現わされるようにと祈り願っていたのでありました。
パウロの原動力、生きる力となっていたのは、キリスト・イエスの御顔に輝く光であったのです。
そしてその光はなおも輝き続ける、十字架と復活の光であったのです。
それはこの世の光によって輝いているものとは全く違っていました。
この世の中で、キリストの十字架と復活の光は、愛と赦しでありました。
キリスト・イエスにより、使徒パウロは、紀元一世紀、当時貧しくあったエルサレムのキリスト者たち、エルサレム教会のために献金を届けよう、お献げしようとの思いが与えられていました。
当時のコリントの教会は、その熱意により、すでに多くの人々を奮い立たせてもいたのです。
そこで今日の聖書、コリントの信徒への手紙二 9章6節でパウロはこう語りかけます。
「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種をまかない者は、刈り入れもわずかであり、惜しまず豊かにまく人は、刈り入れも豊かなのです。」
パウロは「このことは言っておきたい」と述べています。
祝福のうちに蒔く者は、祝福のうちに豊かに、思う存分に、与えられるというのです。 ですから、「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めた通りにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださいます。」あとパウロは言います。
神に愛されているのです。
パウロは続けます。
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」
神は恵みを満たすだけではなく、余るほどあふれさせることがおできになるお方であるというのです。
それはただ単に、献金や物質的なものではありません。
祈り、時間、労力、愛、そして心を惜しまず差し出したということであります。
そして私たち七十五年の教会の歩みは、そのような方々によって支えられてきたと、教会の歴史から申し上げることができます。
雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も、祈り続けた方々。
語り、仕え、人々を励まし続けた方々。
教会幼稚園に集う子どもたちのためにさまざまな準備をなし、愛を注ぎ続けた方々。
そしてさらに見えないところで奉仕をし、静かに支え続けた方々。
これらの方々が蒔いた種は、今日のわたしたちの信仰とつながっています。
パウロは言います。
「『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く。』
と書いてある通りです。」
「種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
種といのちのパンをお与えくださるお方を思う時、その広さ、深さ、豊かさを思います。
神の御心の広さ、深さ、豊かさです。
神は豊かにわたしたちの必要を満たしてくださったのです。
常に希望を与え、愛が広がり、祈りが深まるようにと支えてくださったのです。
使徒パウロは奉仕者たちについて述べています。
「あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。
なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。
この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らはあなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。」
パウロは多くのキリスト者、そして多くの奉仕者たちに出会い、離れた場所においても共に歩んでいました。
そして知ったのです。
奉仕の働きは、多くの感謝を神に捧げることによってますます豊かになるということを。
そしてパウロは言います。
「更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。
言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。」
むさし小山教会七十五年の歩みは、まさに言葉では言い尽くせない、語り尽くせない贈り物です。
すべての奉仕が神の恵みとして、今、わたしたちの前に広がっています。
そしてこれからの歩みも、神の恵みのもと、感謝を持って、希望を持って進み続けていきます。
神は小さな種を成長させて豊かに実らせてくださるからです。
この実りは愛であり、赦しです。
神が共におられ、その御業に言葉では言い尽くせない贈り物をお与えくださいました。
祈りと愛と福音によって、さらにあなたが、またわたしたちが、神の栄光を現わすことができますように。
みわざのために。
