【信心】テモテへの手紙一 3章14節から16節

「信心の秘められた真理は、確かに偉大です。」

今日、わたしたちの開きました聖書は、使徒パウロが書き記した手紙です。

パウロは、もともとキリスト者たちに反対し、迫害の手を加える人物でありましたが、十字架の死より復活された主イエス・キリストに呼びかけられ、キリストの福音を宣べ伝える者となっていました。

パウロの周りの者たちは驚き、恐れていましたが、パウロにとってキリスト・イエスから呼びかけられたことは、とても大きな出来事であったのです。

わたしたちにとって、また人々にとって、パウロが復活の主イエス・キリストに呼びかけられ、出会ったという出来事は、何か抽象的なこととして、ぼんやりしたイメージに受け止めることがあるかもしれません。

それはわたしたちがパウロ本人ではないことからも仕方がない、どうにもならないと言えます。

しかし、パウロという人にとっては、まさに具体的なことであったのです。

復活の主イエス・キリストに呼びかけられ、出会ったのは、主イエスの弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んでいた時でした。

そしてキリスト・イエスに従う者を見つけ出し、男女を問わず、すなわちすべての者を縛り上げ、ユダヤ人として、ファリサイ派として、パウロの本拠地であるエルサレムに連行するためでありました。

パウロは極めて人間として具体的な敵意を抱いていたのでありました。

パウロの心の中はそのことに燃えていて、その敵意に満たされており、いつもそのことを考え、思いを巡らしていたのでありました。

そしてパウロが復活の主イエス・キリストと出会ったのは、その敵対した者たちへの敵意が心のうちにいっぱいとなって満たされ、キリスト者たちを捉え、迫害へと向かう旅の途中でありました。

パウロは具体的に用意を整え、その目的のために目標へ向かって進んでいたのでありました。

それは、この目標のために自分は力を尽くして生きているのだということでもあったのです。

しかし、そのようなパウロに突然、天からの光が照らされたのでありました。

そして復活の主イエス・キリストの御声をパウロは聞いたのです。

聞いたのはパウロでありますが、先に語りかけたのは主イエスであり、その前に天の光、すなわち神の光がパウロを照らしたのでありました。

パウロにとってこのことは具体的なことであり、決して忘れることのできないこととして、パウロの心に残ったのでありました。

形や色や光や音、そしてキリストの御言葉が心に残り、心に宿ったのでありました。

主イエスの弟子たちにとってそうであったように、パウロという人物においても、主は極めて具体的なお方として、はっきりと明確に出会ったということでありました。

そのことは何を私たちに語りかけているのでしょうか。

それは、神が具体的であるということであります。

一人の生きている、人物に神は働きかけられ、御言葉をもって具体的にお語りくださっておられるのです。

その人に対しては、その心が、その思いが、何か全く違うことに満たされていたとしても、全く変わらないのです。

神こそが具体的なお方であるのです。

そのことにより、パウロは全く変わりのないお方により変えられたのであります。

光のある方へ、愛と赦しのある方へと、パウロの歩みは変えられていったのであります。

神の御心から離れ、背いてしまっていることを罪と言うならば、 「神の恵みがさらに増すようにと、わたしたちは罪の中にとどまるべきでしょうか」 と、キリスト者となり、人となったパウロは問います。

その自ら立てた問いに、パウロは自らの歩みに基づいて答えます。

「罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。 罪に対して死んだ私たちが、どうしてなおも罪の中に生きることができるでしょう。」

パウロは神の光に照らされて神に呼びかけられ、神の備え、与えられた道を歩むようになった、その具体的な一つ一つの出来事の中で力強く語っているのです。

神に愛され、神に赦された者として、そう語り、そう生きるのです。

「罪の中にとどまるべきだろうか。決してそうではない。」

神に背き、神から離れ、変わることのないお方を前に、変わってしまったわたしたちの罪を、神はキリスト・イエスにおいてお赦しになられたのです。

パウロの心の底から立ち昇る喜びが、 「神の恵みが増すようにと罪にとどまるべきだろうか」 という誘いを、決してそうではないと断固退けます。

神こそが具体的であり、パウロは具体的に語っているのです。

キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマ(洗礼)があり、わたしたちはキリスト・イエスの死と復活に預かり、その新しい命に生きているのです。

パウロはキリスト・イエスの福音を人として語っています。

そしてその働きを、パウロは同労者と言われる者たちと共に行っていました。

その同労者の中の一人に、パウロより年若いテモテという人物がおりました。

キリストの福音を宣べ伝える使徒パウロの宣教旅行の途上、リストラという町でパウロとテモテは出会い、その後、パウロとテモテは宣教旅行を共にすることとなります。

そしてある時、テモテはエフェソという町にある教会に遣わされることとなります。

パウロはテモテの信仰を見つめ、思っていました。

 「信仰による真の子テモテ」とパウロは言っています。

そしてパウロは手紙の中で、 「あなたが抱いている純真な信仰を思い起こしています」 と述べます。

パウロはテモテのことを、その姿、その表情、そしてその声を思いながらではありますが、表面からは見えない、しかし内面から現れる信仰について言及します。

テモテの信仰は祖母から、そして母から受け継ぎ宿った信仰であると、パウロは確信していました。

エフェソの教会に起こる様々な問題を前にしたテモテ。

パウロはこのテモテに宿った信仰を思い起こし、そして新たに思い出させるようにして語るのです。

今のわたしたちも、それぞれに与えられた問題があるかもしれません。 そのようなことを前に、パウロがテモテに伝えているように、初めのことを思い出し、神から与えられた信仰を呼び起こすということは、とても大切なことであります。

パウロはテモテにこう伝えています。

「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるように勧めます。神は臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」

そしてパウロは、さまざまな問題と重荷を前に意気消沈し、すっかり弱り、落ち込み、打ちひしがれてさえいるテモテに、 「わたしたちが救われ、招かれ、呼び出されたのは、神ご自身のご計画と恵みによること」 を語ります。

主イエス・キリストを通して神に呼び出され、忠実な者とみなされ、その務めにつかせてくださったのです。

心が折れそうになり、失意に沈むような時に、パウロは神のご計画と神の恵みを静かに思い起こし、良い心を持って与えられた道を進んでいくよう促しています。

そして今日の聖書、テモテへの手紙一3章で、教会の職である監督また奉仕者について述べた後、3章14節でこう述べています。

「わたしはまもなくあなたの所へ行きたいと思いながら、この手紙を書いています。」

パウロはエフェソにいるテモテに会いたいと願いながらも、何らかの事情があって行くことができないでいると言います。

そこでこの手紙をパウロは書き送っているということですが、パウロのテモテに対する信頼は全く変わらず、それは神から彼らに与えられている信じる心、信仰によります。

そしてパウロよりも年若いテモテ、その年齢・世代の違いということもあるのでありますが、パウロは信仰により、神のご計画と神の恵みにより、後に続く者を信じて走っていたのです。

あのことが、このことが、と気になること、気にかかることも多くあったことでしょう。

しかしパウロは後ろを振り返ることもせず、うつむいて下を向くこともなく、前を向いて、できることは行い、できないことはできないとし、聖なる霊に導かれて精一杯に生きたのです。

それが「委ねられていることを守る」ということであったのです。

パウロはテモテに言います。

「行くのが遅れる場合、神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。 神の家とは、真理の柱であり土台である、生ける神の教会です。」

パウロが伝言として伝えているのは、「神の家でどのように生活すべきか」ということですが、その方法や手段を述べているのではありません。

まず何があって、何を見るのかということです。

神の家があり、神の家を見ている。

そしてその神の家は神の教会であると言うのです。

柱と土台がありますが、それは柱と土台のある建物を家または教会と言っているのではなく、その教会に集う、神に招かれ呼び出された兄弟姉妹一人ひとりが、神の家であり、神の教会であり、柱であり、土台であり、ここに神のお与えになられる信仰と信頼があります。

神に愛され、赦された者としてパウロは言います。

「信心の秘められた真理は確かに偉大です。すなわち、キリストは肉において現れ、霊において義とされ、天使たちに現れ、異邦人の間で述べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに挙げられた。」

わたしたち、神の家・神の教会の柱と土台は、信心の秘められた真理に支えられ、守られています。

紛れもなく偉大なのは、この敬虔なる信仰の源なる救い主イエス・キリストであります。

神のご計画と神の恵みによってわたしたちに与えられた救い主イエス・キリストであります。

キリストは具体的に、肉体をもって神が人となって現れ、聖霊において神に義とされ、天使(みつかい)に見られ、今もなお、異邦人すなわち世界の人々の間で福音が述べ伝えられ、信じられ続け、栄光のうちに挙げられました。

わたしたちはこの世の中において、さまざまな問題の中にあって支え、また支えられています。

キリスト・イエスが共におられるのです。

神の教会はこのことを語り、このお方を賛美し、神の家はこのお方を証しします。

栄光のうちに挙げられたキリスト・イエスの栄光が、ここにまた新たに現れますように。

わたしたちに与えられた信じる心、信心の秘められた真理は確かに神の栄光を帯び、その偉大さを示しています。