【神の作品たるお互い】 エフェソの信徒への手紙2章8節~10節
受洗から30年という節目を迎え、信仰の証しとしてこれまで歩みを振り返った。
クリスチャンの家庭に育ったが、成長とともに教会から足が遠のいていた。小学校時代に身勝手な行動で傷つけた友人がいたが、私の投げたひどい言葉や行動に何も言わず抵抗することのなかった姿が、罵られても何も言わなかったキリストの姿と重なったとき、自分の罪深さを痛感した。長年強い自己嫌悪や目に見えない恐怖に苦しみ、暗闇のどん底にいた際、ふと「礼拝に行こう」と思い毎週教会へ通うようになり受洗へ導かれた。
大きな転機となったのは、「私たちは神の作品(傑作品)である」というエフェソの信徒への手紙の言葉との出会いだった。神が不完全な自分を造り愛してくださっていると知り、ダメな自分を隠そうとするのをやめ、みじめな自分を受け入れるようになった。
そしていい人になろうと頑張るのではなく、このように造ってくださった神様の思いのままに自分を用いていただくことを願う私へと変えられた。受洗後は、見られているという自意識から解放され心が自由になった。自分を大切にすると同時に、同じく「神の作品」である他者をありのまま受け入れ、互いの命を輝かせながら善い業に励む私たちの関係でありたいと願う。そしてこれからも神の慈愛に感謝し、日々の生活や職場のなかで愛の実践に努めていきたい。(矢崎容子役員)
