「主の弟子たち」 マタイによる福音書28章11節~20節

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

復活された主イエス・キリストが、その弟子たちにおっしゃいました。

わたしたちは、めぐりゆく日常生活において、いろいろな言葉を聞いていると言うことができます。

ご家族のちょっとした言葉、学校や職場、また、それぞれの場で、また、伝え聞く言葉、ニュースとして聞く言葉、そして、自分の心の中の言葉など、さまざまなところでわたしたちはいろいろな言葉をこの時も聞いているということができます。

教会の暦では、復活節という季節に入りました。

「本当に主は復活して、現れた」という言葉が駆け抜けて行き、主の勝利の日とその喜びの季節をわたしたちは送っています。

しかし、わたしたちの国においてはいまだ感染症の蔓延防止対策が続き、また、社会生活を送って行くという上では多くの心配と不安がただよっています。

心身ともに健康のこと、人間関係のこと、また、経済関係、暮らしのこと、などでその思い煩い、気に病むことも尽きないのではないでしょうか。

そしてその不確かで明らかにはならないことの渦の中で、多くの言葉を聞きます。

そしていつしか自分自身が不確かで明らかではなくなってしまうかのようです。

主イエス・キリストは、「いつもあなたがたと共にいる」とおっしゃいました。

思い煩いと不安、そして、疑いの中にふらふらと揺れ動くわたしたちに、主イエス・キリストがお語りになられたのです。

主イエスは、人々の妬みや憎しみによって十字架にかけられてしまいます。

それは人々がこの世にあって、神から背き、遠く離れることによる罪により、主イエスを十字架の死に追いやったと言えます。

批判し、非難し、捕らえ、裁き、十字架にかけたのでありました。

しかし、主イエスのご遺体を収めた墓は空であり、そこに現れた天使が言うには、主イエスは「死者の中から復活された」、と聞くのです。

その場にいた婦人たちはその知らせを主イエスの弟子たちに知らせようと急ぎますが、その行く手に主イエスが現れてくださったのです。

主イエスは、「兄弟」ともおっしゃる弟子たちに、「ガリラヤへ行くように言いなさい」とお伝えになられます。

そして今日の聖書、新約聖書マタイによる福音書28章11節「婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。」

死者の中から、復活された主イエスから、弟子たちに「告げなさい」と命じられた婦人たち。

この婦人たちが、まだ弟子たちのもとに到達していない、主イエスの御言葉が弟子たちにまだ届いていないうちに、墓の番をしていた数人の兵士たちはエルサレムの都に行き着いたのです。

その番兵たちを出していたのは、ユダヤの祭司長たち、そしてファリサイ派の人たちであったので、その人たちの所に兵士たちは帰って来たのです。

そしてその日まで番をすることとなっていたのでありますが、戻って来ることになったその事情を報告したのです。

祭司長たちとファリサイ派の人々は、主イエスが三日目に復活することになっていることを予告されていたのを恐れの中に受け止めていた、と言うよりは否定し、受け止められないので、墓を番する兵士たちを就けるよう総督ピラトに申し出ていたのです。

しかし、彼らは、主イエスがかねて言われていた通りになったことを知ることになりました。

そこで12節「祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて」

13節14節「言った。『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」

祭司長たちと長老たちというのは、ユダヤの最高法院を構成する人々でありました。

当時、エルサレム神殿の大祭司を議長として71人の議員で成っていました。

行政と司法の機関として、死刑判決の権限を持っていましたが、最終的にはローマ総督の判断と裁きを仰がなければなりませんでした。

しかし、この最高法院の人々が群集を巻き込み、ローマ総督ピラトに圧力をかけて、主イエス・キリストの死刑を超法規的に引き摺り出したのでありました。

ですので、番兵たちの報告を聞いたユダヤの指導者たちは、主イエスの復活の出来事、その知らせが広がっていくのを力ずくで抑えるために多額の資金をつぎ込んだのであります。

そして偽のニュースを作り出し、それを広げるように言ったのです。

主イエスの「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んでいったと言いなさい」と番兵たちは命じられました。

しかし、兵士たちにとってそれは、自分たちがその任務を怠っていたということになり、過失を問われることになってしまいます。

ですので、それを相殺するかのように多額の金を持ち出し、ローマ総督ピラトにもうまく説明し、説得するとユダヤの指導者たちは言うのです。

そこまでする彼らは、彼らの持っている恐れの大きさ、罪悪感と無価値感から来る大きな恐れを激しく感じていたのでありました。

そしてそこから意識を変えることが大変難しくなっていたのであります。

罪悪感にとらわれてしまい、罪の意識に支配され、彼らは愛と赦しを見失ってしまっていたのでありました。

しかし、主イエス・キリストは、それをそのままお受けになられました。

苦しみを受けられ、十字架の死につかれ復活されたのです。

この世の恐れから誘いかけられ、この世の恐れに命じられ、この世の恐れによって支配され、15節「兵士たちは金を受け取って、教えられた通りにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」

このようにして、恐れに、死と滅びによる恐れの支配は今日まで広まってしまったのでありました。

しかし、主イエス・キリストは、恐れの支配、死と滅びの支配に勝利されたのであります。

そして、主イエス・キリストが暗闇に捕らえられ、十字架の死につかれる時、恐ろしさのあまり逃げ出してしまった弟子たちに、主イエスは現れてくださるのです。

主イエスは、失われた羊の所へ行き、平安があるように願っておられます。

そしてその平安は尽きることのないものであることを、十字架と復活により現わされるのであります。

この世において、平安を失い、大きな不安と心配にとらわれてしまっている、その恐れの支配がすでに広まってしまっており、その中で希望を失い、世界は灰色に見え、無気力となり、どう生きればよいのかその力も失ってしまうようなことがあるかもしれません。

沈むように深い悲しみ一色に覆われてしまうこともあるかもしれません。

主イエス・キリストは、十字架にかけられて行く前、最後の晩餐、主の晩餐の時、弟子たちにこう告げておられました。

「わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」

そして婦人たちに現れた主の天使たちも、この主イエスの御言葉を繰り返し、マタイによる福音書28章16節17節「さて、11人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」

主イエス・キリストご自身が以前おっしゃっておられたガリラヤ、それは、かつて弟子たちを招き、召し出し、また、弟子として送り出し、送り遣わした地でもありました。

主イエスが指示しておかれた山に弟子たちは行ったのでした。

弟子たちは深い悲しみに溶けゆくようなことがあっても、主イエス・キリストの思いを、その御言葉を、受け止めて行動を起こしたのでありました。

弟子たちの心には、主イエスが先に行かれ、先におられるということがあったのです。

ですから、勇気が湧いて来たのであります。

あの主イエス・キリストが、先におられる、ですから今、目の前のことを受け入れ、立ち向かって行く勇気が与えられたのです。

主イエス・キリストの御言葉通り弟子たちは、復活の主イエスにお会いし、その御前にひれ伏します。

しかし、であります。

その弟子たちには疑う者もいたというのです。

そこには恐れによって作り出されたニュースの影響もあったことでしょう。

また、その超自然的な出来事に、受け止めきれない困惑を示す者もいたことでしょう。

そのことを福音書は、そのまま書き記しています。

そして18節「イエスは近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。』」

主イエスは疑う者もいることよくご存知で、それに至る事情もよく知っておられたのです。

しかし、主イエス・キリストはそのことに目を留め続けることなく、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」とおっしゃって、ご自身がどういうお方であるのかを弟子たちにお示しになられます。

「一切」とは「全て」ということであり、その全ての力を父なる神から授けられておられるのです。

そしてこの力は、欠けたり不足したりすることのない力です。

そこにあって全てを動かし、全てを支えている力です。

ですから、誰かによって少し変えられたり、変化したりするそのような力ではありません。

常に変わらずそこに確かにある、そのような力、権能を、主イエスは授かっておられるのです。

だから19節20節、主イエスは弟子たちにおっしゃいます。

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

主イエス・キリストは、ご自身の力を知っておられ、死より復活された主はそれを隠そうとはされません。

死と滅びに勝利され、人の罪を赦され、人を罪から解き放ち、愛と赦しの中に入れてくださったのです。

この愛と赦しは、わたしたちの中にあり、また、この愛と赦しにわたしたちは包まれています。

今あるままで行きなさい。

心配しないで、神に信頼しなさい。

と、わたしたちは復活の主に包まれているのです。

ですから、すべてのあらゆる国の人々を弟子とせよ、とおっしゃっておられるのです。

それだけの力が、主イエス・キリストにはあり、それは愛と赦しによってなされて行くのであります。

そして、この主イエス・キリストに導かれる者たちと共に、父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊の名により洗礼を授け、命じられたことを守り、教えること、救いのためにあなたの向きを合わせること、それが人生において大事なことだとおっしゃるのです。

そして、あなたというひとりの人にとって大事であることは、全世界の人々にとっても大事なこと、愛と赦しは、すべての人々の救いであることを、復活の主イエスは弟子たちに告げられるのです。

主イエス・キリストと一つに結ばれて弟子となった者たちは、また立ち上がろう、また仰ぎ見よう、と勇気を与えられたのです。

その歩む途上、この世では疑うことを止めることはできないかもしれません。

しかし、信頼すること、信じることも、それ以上に止めることは出来ないのであります。

なぜなら、死から復活された主イエス・キリストは、「今あるままで行きなさい」「わたしは世の終わりまで、いつもいつまでもあなたがたと共にいる」とおっしゃってくださっておられるからです。

恐れるな。

大丈夫。

主は、いつもあなたとあなたがたと共にいる。