「言葉を聞く人々」 テモテへの手紙一4章6節~16節

「あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」と、今日わたしたちの開きました聖書、テモテへの手紙一には記されています。

わたしたちの日常生活において言葉は数え切れないほどの場面で数多く用いられていますが、声として発せられる言葉と、文字として書かれた言葉があって、それはまた、はっきりと分けることができないものです。

音、声としての言葉と、書かれた文字としての言葉は、お互い、わたしたちに重要なことを教えてくれるものですが、声としての言葉は、わたしたちの心を呼び覚まし、意識を照らし、人と人とを結びつけるものでもあります。

緊急の事態のときなど、国の代表者や自治体を代表する長が現れて発言をいたしますのも、そのような意味合いが大きいと言えます。

書かれた文字としてではなく、声としての言葉は、今この時この状況の中で受け止めるべきことを受け止め、そして、人と人とを結びつけて行きます。

そしてまた、書かれた文字の言葉は、人と人とを分けてしまうこともありますが、自分と人との間をはっきりさせ、意識を一段高く引き上げることがあります。

このどちらの働きも相互作用の中で役割を果たしていますが、今日、わたしたちの開きました聖書は、声をかけてくれていた人から書かれた手紙が送られてきたということをあらわしています。

使徒パウロが、若者の同労者テモテへ手紙を書き送ったのでありました。

パウロはキリスト・イエスにより、使徒となり宣教旅行を第一、第二、第三、と行なったと云われていますが、その三回とも地中海世界小アジアの南部、リストラという町を訪れています。

そのパウロの第二宣教旅行のとき、リストラの町出身のテモテが加わったのでありました。

母はユダヤ人、父はギリシャ人でありました。母の名はエウニケ、祖母はロイスという名の人で、テモテの抱いている純真な信仰は、まず祖母と母に宿った信仰であり、「テモテ、あなたにもその信仰が宿っており、受け継いでいるのだ」とパウロは確信していたのでありました。

新約聖書のテモテへの手紙には一と二がありますが、その二の1章6節7節で「そういうわけで」とあります。パウロがテモテに言うのです。

「そういうわけで、わたしが手に置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神はおくびょう病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」

使徒としてパウロはテモテに手を置いたのでありました。

そしてその「手を置いた」ということを通して神の賜物が与えられたのでありました。

それは神の祝福ということでもありますが、パウロはその神から賜ったものを再び燃え立たせなさいとテモテに勧めています。

「再び」ということでありますから、前には燃えていたものが弱くなっていたか、消えてしまっていたかしてしまっていたのであります。

そしてそのようになってしまっていたものを、再び、重ねて、「燃え立たせなさい」と言うのです。

人はさまざまな経験を重ねると、そのようなこと、神の賜物を再び燃え立たせ、光を放つというようなことは不可能であり、考えてはいけない、とさえ思えるのでありますが、そのような人の努力、人の行いによるものとは質的に違ったものであります。

パウロは、神がくださったのはおくびょう病の霊ではない、と述べます。

ではどういう霊なのかと言うと、それは、力と愛と思慮分別の霊だと言うのです。

神は霊であり、神は人に霊をお与えになったのです。

そして、今、この世で、この世で出来事の中、弱さを覚え、くじけ、折れそうになっているテモテに、パウロは文字を書いて、意識を一段高く引き上げることができるように、神の霊が神によってすでに与えられいただいていることを思い起こし、心を奮い起こしなさい、と言うのです。

そして、その神からいただいた霊は「できる」という力、受け入れるという愛、聞く心という思慮分別の霊であるのです。

パウロは、今、困難を覚え、立ち止まり、肩を落とし、また、うつむいている者に、直面している出来事について語ることでも、また、そこから逃げ出すことでもなく、すでに神がキリスト・イエスによりお与えくださっているそのものに目を向け、心を向けることを力強く勧めるのです。

それは、神の御子イエス・キリストが、ご降誕されるとき、思い悩んでいたヨセフとマリアに主の天使が現れ「神にできないことは何一つない」と告げ知らせ、力となったようにであります。

天使は力となったのです。

受け入れる者には、そっと力となってくれるのです。

神の愛は、そのようにあらわされ、キリスト・イエスからパウロへ、パウロからテモテへと、神の愛は伝えられて行く力があります。

そしてわたしたちも、今、パウロの思いを受け止めるように、この手紙の言葉に聞く心を重ねているのです。

神の愛の香りが、キリスト・イエスの苦難と十字架の死、そして、復活の香りとなり、そのキリストの香りが、パウロを包んでいたのです。

ですから、パウロを通して、神の愛の言葉が紡ぎ出されるのであります。

「あなたは、神に愛されている子どもなのですから、神に倣う者、そのままに従っていく者となるように。」そして、「キリストがわたしたちを愛して、ご自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとして、わたしたちのために神に捧げてくださったように、あなたがたも、愛によって歩むことができるように」とのパウロの祈り願いがあるのです。

パウロは神によって選び出されたテモテに、信仰と正しい良心を持って、雄々しく戦うことができるよう切に願いました。

ある人々は正しい良心を捨て、その信仰が挫折してしまったことをパウロは見ていたからでありました。

惑わす霊と悪霊たちの教えとに心を奪われてしまわないように。

神の力と愛と神の御心を聞くことのできる霊により、聖なるものとされるようにとパウロは勧めるのです。

ひとつの大国の代表者であっても、惑わし、惑わされることがあり得るのです。

しかし神は、正しい良心と信仰とから生じる愛を目指されます。

パウロは、ある人々が神の目指しておられることからそれて、無益な議論の中に迷い込んでしまったことも知っていました。

エフェソにとどまっていたテモテに、パウロは神の御言葉と信仰にとどまることを勧め、今日の聖書箇所、テモテへの手紙一4章6節でこう述べ、テモテを引き上げます。

「これらのことを兄弟たちに教えるならば、あなたは、信仰の言葉とあなたが守ってきた善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります。」

「これらのこと」とは、惑わしと偽りの渦巻く中にあっても、神の御言葉を土台とし、その基盤に支えられ、正しい良心と信仰に歩むことであります。

そしてこれらのことは、教えであるので人に伝えることができます。

この教えによって、神と人とは繋がり、この信仰の言葉によって養われて行くのです。

養われるとは、育てられ力づけられるということであります。

つらいことがあっても育てられるのであります。

悲しいことがあっても力づけられるのであります。

そこに愛があるからであります。

そしてパウロは、テモテに「善い教えの言葉とに養われて、キリスト・イエスの立派な奉仕者になります」と、人は変えられることを述べるのです。

そしてそれこそが良いことであり、幸いなことであることを、パウロはテモテを力づけようと述べようとしているのであります。

7節、8節「俗悪で愚にもつかない作り話は退けなさい。信心のために自分を鍛えなさい体の鍛錬も多少は役に立ちますが、信心は、この世と来るべき世での命を約束するのですべての点で益となるからです。」

パウロは、信じる心、信心を鍛えなさいと言います。信じる心が、さまざまな事や話しで包囲され束縛されている、そこから信心を外に出すようにということです。

外に引き出して、動かし、運動させなさいということであります。

そして、この世と来るべき世について、パウロは目を向け、述べています。

信心の鍛錬と、体の鍛錬と、どちらが良くてどちらがそうでないのかということではありません。

信心を鍛えること、そしてその信心は、キリスト・イエスによるものなので、永遠の命の希望があるのです。

死と滅びに勝利したもう復活の主キリスト・イエスにより、この世において、そして、来るべき世において救われており、永遠の真の命が約束されているのであります。

これが信心であり、敬い慎む敬虔であり、すべての点であなたの益となります。

9節、10節「この言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。」

パウロは、他の手紙でこう述べています。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を、生むということを。」そして、「希望はわたしたちを欺くことがありません。」と述べます。信じる心、「信心は、この世と来るべき世での命を約束する」この言葉はその通りになるので、そのまま全身に受け入れる喜びがあります。

しかしこの世では、それを妨げるものが自分の内外にあり、そのために労苦することがあり、力を奮って戦うこともあります。

神はすべての人、特に信じる人々に、立ち上がる希望を与えになります。

失望することは有限でありますが、神からいただくこの希望は無限です。

救い主の愛が、わたしたちの心に注がれているからであります。

この約束を仰ぎ見つつ、わたしたちは雄々しく戦いに耐えることができるのであります。

わたしたちの望みは、人の力や人の業にではなく、生ける神の確かな御言葉に根ざし、この救いはすべての人々にあります。

11節、12節「これらのことを命じ、教えなさい。あなたは、年が若いということで、だれからも軽んじられてはなりません。むしろ、言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」

このテモテへの手紙が書き記されたとき、パウロは六十歳代、そしてテモテは三十歳代であったと云われます。

パウロは、主の仕事、福音に仕えるその任務を、確信に基づいて果たすことを勧めています。キリスト・イエスの言葉、行動、愛、信仰、純潔に立ち返り、倣うようにと言うのです。

それはテモテにとって、また、わたしたちにとって、とても高い越えなければならないもののように思えるのですが、キリストがそうしてくださったことに目をとめることが大切です。

キリストが、言葉を、行いを、愛を、信仰を、純潔を、ささげてくださったということであります。

模範は、手本は、キリスト・イエスにあり、キリストをよりどころとすることに幸いがあります。

そしてパウロは、エフェソにいるテモテに勧めます。

13節、14節「わたしが行くときまで、聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです。」

パウロは、聖書の朗読と勧めと教え、そこから流れ出る慰めと励ましを得るようにと願います。

そしてそれを受けられるよう、あなたの内にある恵みの賜物を大切に保ちなさい、と言うのです。

テモテは、教会の長老たちから神の指示に基づいて立てられ、神の御言葉の僕として任命されたのでした。

ですから、神の励ましと慰めは必ず与えられること、また、すでに与えられていることを告げるのです。

そして、神が備えられたものを喜んでお受けし、15節、16節「これらのことに努めなさい。そこから離れてはなりません。そうすれば、あなたの進歩はすべての人に明らかになるでしょう。自分自身と教えとに気を配りなさい。以上のことをしっかり守りなさい。そうすれば、あなたは自分自身と、あなたの言葉を聞く人々とを救うことになります。」

あなたの務めから離れないように。

神の愛からあなたを引き離すものは何もありません。

そして、神から与えられた現実的な働きを満たす力ある恵みが、あなたの内に現れ、それに気を配りしっかりと守るならば、あなたは自分自身と、神の御言葉を聞く人々とを救うことになるのです。

パウロはテモテに、すなわち力と愛と聞く心の霊を与えられている人に、手紙を通して語りかけ、立ち上がるように励まします。

そして今、わたしたちは、人を励まし、人を慰め、力と愛を回復させようとするこの模範に従って救われ、喜びの道、幸いの道を、共に、前へ、進んで行くのであります。