「キストを住まわせ」エフェソの信徒への手紙3章14節~21節

「あなたがたの心の内にキリストを住まわせ」と使徒パウロは述べました。

わたしたちが、今、住まうのはどのようなところであるのでしょうか。

住所、その地名、番地をその「住まい」と言うことも出来ますし、また、建物であればこのような建物というようにその形や色の色などで言い表すこともあるでしょう。あるいはまた、時間的にも多くを費やして熱中していることがあると、そこを「住みか」と表現することがあるかもしれません。それは、お仕事の現場、また職場であったり、中学生、高校生であれば学校の教室、また部室であったり、あるいは、家庭にあっては、ご家族のおられるここが、わたしの「住みか」と言える空間であったり、「住みか」と思える時間であったりするかもしれません。

あなたのいる空間、あなたのいる時間、それは、それぞれ異なるものではありますが、そこに意識が向けられているということ、そこに意識が在るということを「住みか」という言葉は言い表しているのではないでしょうか。

今日、わたしたちが教会という信じる人々の信じる人々のための信仰の「住まい」で、すべての人々に開かれた聖書は、新約聖書のエフェソの信徒への手紙であります。

今日の聖書箇所は、この手紙3章でありますが、1章の3節から5節に、使徒パウロはこう記し、言い表しました。「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」

この手紙を書いたパウロは、この手紙の宛先の人々、エフェソに在る教会の人々、そして、パウロ本人も、苦しみの中にあっても、目を向け意識を向けること、を語るのであります。

それは、どんなに下を向きたくても、どんなに俯きたくても、主をほめたたえるということであります。

心も体もそのような力がない、そのような気持ちではない、疲れている。たとえそうであっても、ということであります。無理に、表面的にということではありません。

静かに内面において主なる神をほめたたえるのであります。なぜならこのお方は、このわたしたちを生かし、満たしてくださるお方であるからであります。

主イエス・キリストの父である神は、キリストにおいて、天のあらゆる、神の領域のあらゆる霊的な祝福を与えくださり、足りなければ満たし、足りなければまた満たしてくださるのです。

霊的な祝福とは、霊的な最善と言えます。人の内面、または人を包んでいる霊的なものにおいて最も良きこと、ふさわしいことが、その人を満たすということであります。神は、キリストにおいてそのことをなしてくださるのであります。救い主キリスト・イエスは、あなたの最善を願っておられるので、わたしたちはこのお方に委ねるのであります。

わたしたちは何かを自分の力を頼りにして願っていますが、委ねるということ自体が引き出す力であると言えます。わたしたちは救い主の御前にあるからです。

そして、使徒パウロは驚くべきことを1章4節で述べています。「天地創造の前に」それは歴史的なこと年代的なことというよりは、「おおもと」であり「中心」であることと言えます。

天地創造の前というのは、旧約聖書の創世記1章2節によると「地は混沌であって、闇が深淵の表にあり、神の霊が水の面を動いていた」ということであり、しかしそのような混沌が天と地がまだ分かれていなかった時に神はおっしゃったのでありました。「光あれ」すると光があったのでありますが、「天地創造の前」と言うと、それより前ということになります。

人が、何を行い、何を行わないか、また、何を行ったか、何を行わなかったか、ということよりも前にということです。

つまりもともと神は、わたしたちを愛して、ご自身の御前で聖なる者として、分ち、汚れのない者としようとお選びになったということであります。

そしてそれは、キリスト・イエスにおいてであります。人によるのではなく、キリストにおいてであり、神は人の救いのために、キリストをこの世にお与えになられたのです。

そしてそのためにお選びになったと言うのです。それは、人ではなく神がその御心のままにお定めになったのであり、それだからこそわたしたちの心に大きな平安があります。

パウロは、この輝かしい恵みに向かって歩んでいこうと、人々を励まし、祈っているのであります。

そして、新約聖書エフェソの信徒への手紙は、「こういうわけで」「だから」「こういうわけで」と、キリスト・イエスと共にある恵みを分かち合い、そして、3章に入り、14節においても「こういうわけで」と始めています。

この世で輝くキリスト・イエスの恵み、それは、十字架の死につかれ、復活させられたキリスト・イエスにより、罪をゆるされ、神と共に歩むことがゆるされた恵みです。

キリストがそうしてくださったのですから、エフェソの信徒への手紙3章14節「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります」とパウロは、エフェソにある教会の兄妹姉妹に向かって言います。

パウロは、祈りについて、そしてどのように祈るかについて述べています。それは、誰に向かって祈るのかということ、天地創造の前から、つまり、もともとわたしたちを愛してくださっている父なる神に向かってということであります。

わたしたちを愛してくださっているお方に、意識を向けてということ、そして、その父なる神の御前に出て、ひざまずいて、礼拝し、祈るということであります。

かくれることなく御前に出て、感謝し、賛美し、恵みのもと、道をたずねるのであります。そして、たとえ道を見失いそうになり、わからなくても、15節「御父から天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。」

「その名」とは、キリスト・イエスの御前であり、天に在る者、地に在る者がこの名によって結ばれ、つながっているということであります。

そしてそれは、人の知るところをはるかに超えたつながりと言えます。

パウロは、感謝の思いと共に神の御前で祈りました。

そして、16節17節「どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなた方の内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。」

パウロは、苦難と十字架、そして復活のキリスト・イエスを見つめながら祈り願っています。父なる神がおられるその重みが栄光であり、その栄光は、幸いを約束する光です。その一筋の光に従って歩む、聖霊の導きに従って歩む、このことにより人は生きるのです。

たとえ苦悩の中にあっても、この導きの御手は伸べられています。そして、その光は、力を持ってわたしたちの内なる人を強めてくださるのです。

わたしたちの外なる人は衰えていくとしても、わたしたちの内なる人は、日々ますます光のもとに力を与えられて行きます。

そして、わたしたちの内なる人は、魂は、生かされ、愛され、ゆるされていることを知るのです。

ですから、信じる者たちにパウロは祈り願う、その思いをもって言います。

「信仰によって、あなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つものとしてくださるように。」

信じる人々お呼び覚まし、また、信じる人々を呼び集め、パウロは、「信仰によって」と言います。

そしてそれは、自分から信じようというよりも、キリスト・イエスにより与えられた信仰です。神から与えられたその信仰を持って、あなたがたのうちにキリストを住まわせるようにとパウロは言うのです。パウロは、心の内にと述べます。

そしてその心の内にあるものが、その人を生かし、それが外に現わされます。パウロの心の内には、キリスト・イエスがおられ、その言葉がパウロを生かし、外に現わされます。キリストを住まわせ、キリストの中にパウロは住まう者となったのです。

ですから、パウロは苦しみの中に在る者たちを、励まし、祝福し、その幸いを祈るのです。それはただパウロが、そう望んだからではありません。心の内にキリストが住まわキリストの中にパウロが住まうこととなり、そうせざるを得なくなったのです。

キリスト・イエスの愛により、信じる者たちを励まし、祝福し、その幸いを祈る、そうせざるを得ない者とされたのでありました。

ですから、そのキリストの愛に、根を植え、根を張り、根付くように、とパウロは言うのです。そうすれば、その養分をしっかりと受けて、あなたはしっかりと立ち上がり、歩き出す者となると言うのです。

また、18節19節「あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。」

「聖なる者たち」というのは、神によって選ばれた者たちであって、人によって判断され、人によって選ばれたのではありません。

神がキリストによって、キリストに住まわせてくださったのです。

その愛の広さ、長さ、高さ、深さは、はかり知れません。わたしたちの生きる次元を超えています。しかし、その愛が、わたしたちを捕らえてくださるのです。神の愛は、あふれ、豊かであるので、それにより、わたしたちは不足することなく満たされているのです。

20節21節「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」

パウロは、心の内にキリストを住まわせ、キリストの中に住むことにより、キリストの力を知りました。

その力は、神の力であり、わたしたちの願望をはるかに超えています。そして、主は、すべてのことを超えておできになります。教会は、主の御力を信じます。教会により、また今も生きておられるキリスト・イエスによって、主の栄光が一人ひとりにありますように。

「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」。