使徒言行録9章36節~43節 「起き上がる」

「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペテロを見て起き上がった。」

今日、わたしたちに届けられました聖書は、一人の人が、起き上がったことを語り、証言しています。わたしたちは、この世の人生において、起き上がることができないような経験をすることがあるかもしれません。

大きな災害において、そしてまた、普段のちょっとした小さな災いにおいても、立ち上がることができないという出来事があるかもしれません。苦しくて、辛くて、その痛みがその後に続くこともあるかもしれません。

今日、わたしたちのもとに届けられた聖書は、新約聖書の使徒言行録であります。主イエス・キリストが、人々の目の前でまた人々の間で苦しみを受けられ、十字架の死につけられていきます。主イエスのご遺体は一度墓に納められますが、三日後に復活され、天に上げられます。そして、その後の出来事を使徒言行録は記しています。その書名の通り、この書は、主イエスと共にいた「使徒」たちの「言行録」です。

主イエスは、十字架の死より復活され四十日にわたって、弟子たちに現れましたが、天に上げられました。弟子たちの目の前から主イエスはいなくなり、見えなくなってしまったのです。弟子たちの中には、大切なお方を失ってしまったということに衝撃を受ける者もいたかもしれません。また、復活された主イエスが、再び天に上げられ、見えなくなり、ここにはおられないことに動揺していた者もいるかもしれません。

しかし、主イエス・キリストは、天にあげられる以前に、弟子たちにこうおっしゃっておられました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい」「あなたがたの上に聖霊が降るとあなたがたは力を受ける」。それは、弟子たちの心を激しく打つような衝撃、また、繰り返し起こる動揺を前に、主イエスが、約束としてお与えになったことでありました。

弟子たちは、その約束を胸に刻み、一同集まっていました。エルサレムの都、泊まっていたある家の上の部屋でありました。 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、弟子たち一人一人に聖霊が降りました。そして、聖霊は、その一人ひとりに、力を分け与えられました。

弟子の一人ペテロは、主イエスを十字架にかけた人々を恐れ、また、不安に思っていましたが、聖霊が与えられ、力を受けた時、大胆に恐れることなく声を張り上げ語り出しました。聖霊により、抑えきれないかのように言葉が溢れ出てきたのでありました。

「イエスこそが主であり、父なる神がこのお方を主となされ、 救い主とされた」そのことを語ったのです。

その後、主イエスの弟子たちは、使徒として、救い主イエス・キリストを宣べ伝えて行き、この使徒たちの手によって多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われました。

しかし、そのことにより、エルサレム神殿を中心とした宗教的指導者たちは妬みに燃え、使徒たちに対する迫害を始め強めます。いよいよエルサレムの都において大迫害が起こり、使徒たちはユダヤとサマリヤの地方に散って行くことになります。各地に散って移動して行くというのは、必ずしも使徒たちが計画したことではありませんでしたが、主イエス・キリストの使徒たちが広く福音を宣べ伝えることへとつながって行きました。

その働きは、
「涙とともに種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる」
その通りになりました。

聖霊によって力を与えられ、主イエス・キリストの福音を宣べ伝える使徒となったペトロ、今日の聖書箇所のひとつ前の箇所、使徒言行録9章32節にはこうあります。「ペテロは方々を巡り歩き、リダに住んでいる聖なる者たちのところへも下って行った。」

リダという町は、エルサレムの北西約48キロ離れた所に在りました。そのリダにも「聖なる者たち」がいたことを使徒言行録は述べています。ここで「聖なる者たち」というのは「キリスト者たち」のことと言えます。

神によって主とされたキリスト・イエスを信じる者たち、十字架と復活のキリスト・イエスを信じる者たちであります。ペトロは「方々を巡り歩き」とありますが、各地にあるキリスト者たちすべての教会を巡回していたと言えます。

そして、ペトロは、そのリダの町にて、中風で身体は麻痺し八年前から床についていたアイネアという人を癒します。

これを見た人々は、主に立ち帰ったのでありました。このように、主を恐れ、聖霊の力と慰めを受け、キリスト者たちの教会は基礎が固まって行ったのでありました。そして、今日の聖書箇所、使徒言行録9章36節「ヤッファにタビタ ― 訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」 ― と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。」

ヤッファというのは、地中海に面した港町で、リダの町から北西約17 km にありました
ここにも、キリスト者たちがいたのであります。 ヤッファの町は、エルサレムの都から約56 kmの距離でありました。ヤッファにタビタという女性がいました。タビタは、ギリシャ語訳ではドルカス、「かもしか」の意味と記され、この人への人々の愛情が記述されているかのようです。そして、この人は「婦人の弟子」とあるように、「弟子」と呼ばれる人々の中に女性も含まれていたことを表しています。紀元一世紀当時のユダヤにおいては、特筆すべきことであるかもしれません。そして、このようなところに聖霊の力と助けとが働いていることを見ることができます。

聖霊の助けにより、地域を越え、人々の間にある違いをも越えて、キリスト・イエスの福音が広がって行く、そして、当時エルサレム神殿を中心としたユダヤの社会にあって、エルサレムの都から離れたとある町に、キリスト者たちがいる。その教会には「婦人の弟子」がいて、平和のうちに築き上げられ、主を畏れ歩んでいたのでありました。

ところが、37節「そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。」

タビタは、階上の部屋に据えて置かれたというのです。エルサレムの都とヤッファの町とは違いますが、以前、使徒たちが、恐れと不安の渦巻く中、一同ひとつとなって集まっていたのが「家の上の部屋」 「階上の部屋」でありました。「上の部屋」は少しでも天に近く、また、主なる神に近く祈る場所を表していると言えます。しかし、それは物理的に構造的に上というよりは、主なる神を切に求めている場所と言うことができるかもしれません。家が、また、居場所が、さまざまな災いにより流され、倒され、壊されてしまうことになっても、神を求める魂は、その叫び求める声を止めることはありません。そして、その場所こそが、神に近づく場所こそが、この世の、また、わたしたちの「階上の部屋」であります。

そして、またタビタは、たくさんの善い行いや施しをしていたと使徒言行録にはあるので、 タビタのその行いに関連した部屋、思い出される部屋の一つが階上の部屋であったかもしれません。

悲しみが人々の心をおおっていました。

しかし、その中でも、弟子たちはふっと思い出したのです。38節「リタはヤッファに近かったので、弟子たちはペテロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、『急いでわたしたちのところへ来てください』と頼んだ。」

ヤッファの町にいた人々は、近くの町リダで、何が起きたのかを知っていました。それは、主イエスの弟子ペトロが、中風で身体が麻痺していたアイネアを癒したという出来事です。

ペトロは、使徒としてアイネアにこう言いました。「イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」。すると、アイネアはすぐに起き上がったのです。ペトロは「自分が」とは言いませんでした。そして「人間の力によって」と言いませんでした。

イエス・キリストが、そして、イエス・キリストの力によって、このことが起きたということであります。それは、キリストの御名が、人々からあがめられるためのものであり、すべての栄光が神に帰せられるために行われるためのものでありました。

リダの町で、その出来事があったことをヤッファの人々は思い起こしたのです。

時はそんなにも過ぎてはおらず、ペトロはリダにいて、この町からあの町は近いということをたちどころに彼らは思いついたのです。そして、すぐさま二人の人を送り出します。多くのしるしと不思議な業を民衆の間で行う使徒たち。そのペトロに、「急いで来てほしい」という思いから「どうかわたしたちのところへ来てください」と言ったのです。

その願いは、皆の願いであり希望であることを、一人の人ではなく二人の人は代表しています。

39節「ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたとき作ってくれた数々の下着や上着を見せた。」

タビタという名はアラム語名ですが、ここではドルカスとギリシャ語で述べられています。それは、この人がともに歩んでくれたことに対する深い感謝と慕わしい思いが表れているかのようです。人々は、この人が、形や色や素材などを選び時間をかけ手間をかけて仕事をし、衣服を作ってくれたことなどを泣きながら話すのでありました。その言葉には、作品以上の数多くのよい思い出が包まれていました。

そこで40節から43節。「ぺトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、『タビタ、起きなさい』と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。ペトロはしばらくの間、ヤッファで皮なめし職人のシモンという人の家に滞在した。」

かつて、キリスト・イエスが、
「おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」
とある人に言われた時、
「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」と主イエスはおっしゃいました。

ペトロは、タビタの前に出て、主イエス・キリストがおっしゃったこと、なされたことを見た、そのことを思い起こしたのでありました。

彼は、キリストから流れ出る癒しの力を聖霊により受けていたのでありました。

悲しみから起き上がり、苦しみから立ち上がる、そのキリストの力を信じる者たちに向かって、さらに、信じる信仰に光を注ぎ、呼び起こされるのであります。

それはただ神の栄光が現されるためのキリストの力でありました。キリストの光によって目を開き、キリストの力によって起き上がるのであります。