テモテへの手紙一6章11節~16 「追い求めるということ」

「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい」。

今日、わたしたちのもとに届けられました聖書は、「追い求めること」を勧めています。

そして、それは、ただ一般的な勧めとして語られているということではなく、その語っている人物、本人、自身が追い求めているからこそ語られていると言えます。すなわち、その一人の人物がこの時、何を追い求めているのかが語られ、そのことを分かち合うことを心から願っているのであります。

その人物とは、パウロでありました。主なる神により、キリスト・イエスに、かつてまったく反対していたのにもかかわらず、十字架の死より復活されたキリスト・イエスによって、呼び止められ、招かれて、キリストの福音を宣べ伝える人とパウロはなったのでありました。

パウロ自身はもともと、キリスト者とあればだれかれかまわず、迫害の手を加えるそのような人物でありました。しかし、父なる神は、キリスト・イエスを復活させられ、このキリスト・イエスを通して呼びかけられたのであります。

パウロは、「我が道」と思っている道を進んでいました。すると、突然、天からの光に照らされたのでありました。そして、「サウロ」とユダヤ名で呼びかける御声を聞いたのでありました。パウロは、その時、倒れてしまったのであります。自分で「我が道」を進もうとしていたその道を止められてしまったのでありました。

行こうとしても行けない、倒されてしまったからです。起き上がろうとしても、すぐには起き上がることができなかったのです。行こうとしても行けない、進もうとしても進めない、開かれていると思っていたものが、次から次へと閉ざされて行き、四方を囲まれてしまうかのようになってしまう。しかし、そのことは、この世のものからではなく、天からの光によるのであります。

まわりは、四方は、閉ざされているかもしれません。しかし、上は開いて、空いているのです。

パウロを一時止めたのは、光であり、それは、天からの光であり、向かうところは、上にあるということ、すなわち、天にあるということを、身をもってパウロは教わるのであります。

パウロはそれを、机の上で学んだというよりは、道を進む、その途上で気づき、また、時間をかけ、その時その時を通して学んだのでありました。 そしてそれは、生涯変わることがありませんでした。

今日、わたしたちに届けられた聖書は、このパウロの手紙であります。新約聖書テモテへの手紙一、その手紙の初め一章一節二節には、このように手紙を書き始め、大切なことを述べています。「わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、信仰によるまことの子テモテへ。父である神と私たちの主キリスト・イエスの恵み、憐れみ、そして平和があるように 」。

パウロは、この手紙の初めでこの手紙の言葉を分かち合う人々に向かって、「力をお与えになるお方」を先ず、はっきりと示すのであります。

その御言葉が、また、その御声が、聞こえてくる方向へ、その指向性をまず合わせるのであります。それは、わたしたちの神は、救い主であるということ、そして、キリスト・イエスは、わたしたちの希望であるということです。

神は、わたしたちの救い主だとパウロは言います。あの光に打たれたこと、倒れ、一時、目に見えなくなったけれども、それは、救い主が触れてくださったことを、パウロは知ったのでありました。

神は救いの主であり、よいお方だ、というのです。

そして、父なる神により、送られたキリスト・イエスに、希望を与えられているというのであります。

それは、この時、この場所においても変わらない希望です。

そして、今、現在も変わらず、わたしたちの希望だとパウロは言っているのであります。

死と滅びのこの世にあって、何に希望を置くのかと言うと、この十字架の死と復活のキリスト・イエスに希望をパウロは起き、見続け、そして、このお方から希望を与えられているということであります。

この希望なるキリスト・イエスによって、任命され、パウロは使徒となったのでありました。パウロは、使徒として、この手紙を分かち合うすべての人たちに、希望のありかを指し示すのであります。

そして、父なる神とキリスト・イエスの恵みと憐れみ、そして、平和があるようにと祈り願っているのであります。

今日の聖書、手紙の名の通り、テモテへ向けてこの手紙は記されています。年齢はパウロよりも年若く、経験も少なく、苦労しているテモテ。

傷つくようなことも、辛いこともあって、希望を様々な事々の中で、信仰をも失ってしまうかのようなことが起きていたかもしれません。

テモテは、パウロと宣教活動を共にする同労者でもありますが、遣わされたその所で、 テモテは苦しんでいたのです。

そして、一人悩み、思い煩うことも多かったのではないでしょうか。パウロはテモテへの手紙二で、このような言葉をテモテに投げかけています。

「そういうわけで、わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃え立たせるよう勧めます。神はおくびょうびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」。

パウロは、テモテに与えられているものを再び思い起こすようにと勧めます。そして、神からあなたに与えられている力は大きい。

それは今も変わらないというのであります。

なぜなら神の愛は変わらず、そのことは今も聖霊が証ししているからです。

パウロは、あなたの立脚点はここです、と語っているのです。

パウロは、この世の波の中にあっても、とどまるところを、上を見て、天を見上げて、「ここだ」と受け入れていたのです。

それでも、この世の中では、数々のひどい苦しみで突き刺された者もいます、とパウロは述べて、今日の聖書テモテへの手紙一6章11節の前半でこう述べます。「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい」。

「これらのこと」とは、前の節、10節によると、さまざまの「ひどい苦しみで突き刺されること」であります。

パウロはテモテに、これらの「避けること」を示すのですが、それよりも、テモテに与えられているものの素晴らしさに目覚めるように言います。

「神の人よ」。

「神の人」という呼び方は、ユダヤの民にとっては旧約聖書、出エジプト記に出て来ますモーセの称号を指していまます。

モーセは「神の人」。その神の人モーセは、生涯を終えるに先立って、イスラエルの民に祝福の言葉を告げその終わりでこう述べました。「イスラエル、神の民よ、あなたはいかに幸いなことか。あなたのように主に救われた民があろうか。主はあなたを助ける盾。剣が襲う時のあなたの力」。

パウロは、モーセに適用される「神の人」をテモテに用います。それは、テモテが、主の盾で守られ、助けられ、力を与え与えられるように、という祈り願いでありました。

「今こそ、あなたは『神の人』なのだ」というのです。

そして、11節後半と12節「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです」。

パウロはテモテに、追い求めるものを示します。それは、テモテの歩みに必ず力を与えるものであるからという パウロの認識がそこにあります。

追い求めるものが六つ順に記されておりますが、そのはじめの四つは、神に向かうもの、正義、信心、信仰、愛です。そして、あとの二つは実際の生活に関すること、忍耐、柔和です。

これらは「得る」ことよりも「追い求める」ことが大切で、その追い求めることの中での気づきや恵みがあるということであります。

そして、深い思い煩いにより、歩みを止めそうになってしまっているテモテに、パウロは「永遠の命を手に入れなさい」と励まします。

「あなたは、まわりのことに戸惑いあれこれと心配している。しかし、いつまでも存続するものに専念しなさい」ということであります。

パウロは、永遠の命の希望から見ることを勧めます。それは、今まで見ていた向きから違う向きで見るということであり、永遠の命は今この時もあなたを包み込んでいるということであります。

その平和が、その平安が、あなたの心を支配するように、そして、信仰を表明するその恵みと喜びを感謝しなさいというのです。

13、14節「万物に命を与えになる神の御前で、そして、ポンテオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証をなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。わたしたちの主イエス・キリストが再び来られる時まで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい」。

パウロは、テモテが命を失うことのないようにと願っています。命を得るために、そして、万物に命を与えになる神をパウロは述べて、テモテが命を得るように促すのであります。

キリスト・イエスは、苦難を受けられ、人々の罪の赦しと救いのため、その命を差し出される時、ユダヤに派遣されていたローマの行政長官ポンテオ・ピラトの尋問、「お前はユダヤ人の王なのか」に対して、主イエス・キリストは、「それはあなたが言っていることだ」とお応えになられました。

キリスト・イエスは、王の中の王であるということです。ですから、このキリストが再び来られる時まで、誠実であり、忠実であり、祈り、感謝し、喜んでいなさい、と勧めるのです。キリストとお会いするのですから。

15、16節「神は定められた時にキリストを現わしてくださいます。神は、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、唯一の不死の存在、近寄り難い光の中に住まわれる方、だれ一人見たことがなく、見ることのできない方です。この神に誉れと永遠の支配がありますように、アーメン」。

神が、お定めになった時が、あなたにあります。

神は、キリストを現わしてくださるのです。

そして、王の王、主の主は、近寄り難い光の中に住まわれるお方である、とパウロは言います。

王の王、主の主であるキリスト・イエスは、この世のポンテオ・ピラトにより、苦しみを受けられ、十字架につけられ、しかし、死からよみがえられます。

救い主、キリスト・イエスは、人々の救いを追い求められるからです。そして、近寄り難い光の中におられる神は、神と人との間にこのキリスト・イエスを立てくださり、この世の光としてくださいました。聖霊は、そのことを明かししてくださいます。

父・子・聖霊なる神は、追い求めておられます。力を失い、希望を失い、信仰も失いそうになるを者をも愛して「神の人」としてくださいます。

父・子・聖霊なる神は、追い求めて、あなたに、また、この地に、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和をもって「生きよ」とお語りになり、命をお与えくださいます。

そして、父・子・聖霊なる神は、あなたを、また、わたしたちをこの時、両手を広げ、まったく受け入れてくださるのです。

この時、この世に、あなたに、平安が豊かにありますように。