使徒言行録2章1節~13節 「風に吹かれて」

「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」。

聖霊降臨日の今日、ペンテコステの出来事を新約聖書の使徒言行録は語っています。

しばらく、主の日の礼拝を教会礼拝堂でおささげすることを、お控えいただく期間が続きました。教会の暦では、主イエス・キリストの復活を特別にお祝いするイースター、今年は4月12日でありましたが、主の復活日から50日経って、今日、ペンテコステ、聖霊降臨日を迎えました。わたしたちは、この間、疫病の感染拡大防止のために集うことを控え、そして、現在も引き続き様々な対策を取り入れながら、主の日の礼拝をおささげし、また、日常生活を進めています。どうかお一人おひとり心身共に守られ、主の恵みが豊かでありますようにと祈り願います。

今日の聖書は、新約聖書の使徒言行録2章1節から13節、新共同訳聖書では「聖霊が降る」と小見出しの付けられている聖書箇所であります。苦しみを受けられ、十字架の死につかれ、しかし、復活させられた主イエスは、弟子たちに40日間にわたって現れました。

そして、弟子たちの見ている目の前で、主イエスは天に上げられました。途方に暮れている弟子たちに、天使が現れ「主イエスは同じ有様で再び来られる」と言います。

主イエスは、天に上げられる前に弟子たちに、御言葉を語られておられました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた父から約束されたものを待ちなさい」。

主イエスが、人々の罪の赦しのため、人々の魂の救いのため、苦しみを受けられ、十字架の死につかれたエルサレム。しかし、主イエスは死と滅びに勝利されよみがえらされたエルサレム。その場を離れないように、とおっしゃいます。

それは、その場所そのものを離れないように、ということでもありますが、そのこと自体が大切なことである以上に、さらに大切なことのためにでありました。

その大切なこととは、主イエスがお語りになられた父なる神の約束です。この約束が実現する、だから、この場を離れないで待ちなさい、と主イエスは弟子たちに命じられるのであります。

父なる神は、人々を救いへと導かれます。出来事を通して、歴史を通して、その救いの御手は伸べられ、人々が立ち返るのを待っておられます。神の無条件の愛は静かに待つ愛です。そして、その父なる神の愛を現わされる主イエス・キリストは、父なる神の約束されたものを待ちなさいと告げられるのであります。

人々はその時はそうだと思っても、すぐ忘れてしまうかもしれません。日々の日常生活に戻って行き、その様々な出来事の中で、主イエスの御言葉を忘れてしまうかもしれません。

主イエスが捕えられ、十字架につけられて行こうとする時、弟子のペテロは、人々に問い詰められ、主イエスを知らないと三度、主イエスを否定したことがありました。三回というのは完全にという意味も含んでいます。

それは、ペトロ自身の大きく深い悲しみとなったのでもありましたが、その前に主イエスは、ペテロにこう語りになっておられました。「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。

主イエスが「あなたのために祈った」とおっしゃってくださる。祈ってくださる。だから、大丈夫。立ち直るから、と主はおっしゃる。「あなたが元気になったら、あなたの兄弟たちを同じように力づけてやりなさい」とペトロは、主イエス・キリストに励まされるその御言葉を授けられていました。

しかし、ペテロは、主イエスの受難と十字架の死の出来事の中で、忘れてしまいます。主イエス・キリストの御言葉により、つながれていることからすっかり離れてしまっていたのでありますが、死より復活させられた主が、ペテロを引き戻すのであります。

信仰が無くならないように、弟子のペトロは復活させられた主イエスが、天に上げられたあと、主イエスの兄弟たちと心を合わせ熱心に祈っていました。それは主イエスの慰めと励ましの御言葉、そして、主イエスを通して告げられた父なる神の約束されたものを待っていたからでありました。

ひと時忘れたものを取り戻したのです。彼らにとって、待つということと祈るということは一つであったと言えます。祈りつつ待ったのであります。そして、その実現は、人のものではなく、神のものであるので、慌てることはありません。神ががふさわしい時に、その約束をなしてくださるからです。

そして、今日の聖書、使徒言行録2章1節から4節にはこうあります。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話し出した」。

五旬祭とは、ユダヤの大きな祭りでありました。過ぎ越しの祭りから50日目ということで五旬祭と呼ばれ、麦の収穫を祝う祭りでもありました。人々は日常から離れ、非日常の大きな祭りへとやって来たということでありますが、その中に日常が含まれているということでもあります。

エルサレムを離れずに一同一つとなっていました主イエスの弟子たちは、この祭りの時も、祈り待っていたのでありました。それは、主イエスのお語りになられた御言葉を心にし、また、天使たちが告げた言葉をも胸に納めていたからでもありました。

そして、彼らには信仰の仲間がおりました。

一同が一つに集まっていると突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえたというのであります。「風が吹いてくるような音」それは、「動き」を表しています。何事かが大きく動くような音が、どこからか、と言うと「地」ではなく「天」から聞こえ響いて来たのであります。

すると炎のような舌が一人ひとりの上にとどまったというのです。燃える炎、それは、ある二人の弟子が復活された主イエス・キリストとお会いした後、「道で話しておられる時、また、聖書を説明してくださった時、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った、その心の内に燃えるものと言ってよいでありましょう。

知識でもなく、また、論理でもなく、それらを包み込む、内に燃えるもの、そして、炎の舌のようなものが一人ひとりにとどまると、聖霊に満たされ、それぞれの霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出したというのです。聖霊は、大胆に語りだします。また、静かにとどまるということもあります。

しかし、この時、エルサレムで起きた出来事、すなわち、主イエスの十字架の死と復活の出来事で、人々の誹謗中傷や疑心が生じ、そのような状況で、弟子たちは、不安と恐れに取り囲まれ、またそれが、一同一つに集まっていた理由の一つと言えるかもしれません。どこまでも、弟子たちの心にまでも闇は 迫っていたのでありました。それでも、忘れないでいたのです。

あなたのために祈った、という主イエス・キリストの御言葉という灯りが心に届いていたのです。そして、それはこの世でひとつだけの光であったのです。

5節、6節「さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」のでありました。

ユダヤの大きな祭りの時、エルサレムには各地域から多くの人々が来ていました。そして、敬虔なユダヤの人々もエルサレムに住んでいました。これらの人々が、主イエスの弟子たちの所に集まってきてみると、だれもが自分たちの言葉で、故郷の言葉で、話されているのを聞き、あまりにも意外であったので呆然となってしまいました。

それまであり得ないことであったからです。言葉を変えれば、できるはずがないことであったのです。

そこで7節8節、「人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか』」。

人々は驚きました。その驚きは、あまりにも大きかったので、「不思議」でありまた「引きつけられた」のでもありました。故郷の言葉は人々の心に沁み通ったのであります。そして、日常の生活に新しい言葉が入っていったのであります。

そして、それは新しい「動き」を始めるのであります。

使徒言行録9節から11節には、その時、エルサレムに来ていた人々がどの地域から来ていたかが記されています。東西南北の広い地域から、国が違う、生活様式が違う、しかし、一つの所にやって来た人々であります。普段は遠く離れた人々であったかもしれません。また、様々な事情で移動も自由ではなかったかもしれません。様々な制限のもとからやって来たのであります。

そして、出会ったのは何かと言うと、人々は言いました。「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」。主イエスの弟子たちが聖霊に満たされ語っていたのは何かと言うと、「神の偉大な御業」でありました。それは、主イエス・キリストが、聖書を通してを語りくださったことであり、今も生きておられる主イエス・キリストが、その御声を通してを語りくださっていることであります。

そして、答えは、風に吹かれ聖霊を通して、語られ聞こえてくるのであります。

動き出したのです。

12、13節「人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう種によっているのだ』と言って、あざける者もいた」。人々は「こうではないか」「ああではないか」と言っています。

しかし、答えは、風のように吹く聖霊が、神の霊が、語っています。「神の偉大な御業」を成し遂げられたキリストが、あなたの中におられ、応え、お語りになっておられます。