「天に上げられる」 使徒言行録1章6節~11節

「天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。

今日の聖書は、天に上げられた主イエス・キリストを語っています。

わたしたちは、天を見上げる、また、天を仰ぐということがあります。思わず立ち止まってしまうようなこと、また、言葉を失ってしまうようなことに出会いどうすればよいのか、ただ天を見上げるということがあるかもしれません。

また、この世の波風の中で静まって、天を仰ぐということもあるかもしれません。そして、その姿、その姿勢は、天に向かって、お返しするものはお返しし、新たな光をいただき、その恵みの光に満たされることを表していると言えるのではないでしょうか。

わたしたちは、五月の空のもと、いのちが次第と満たされて行く、草や花や木々も、日の光を浴びて輝く時を迎えました。雨続きの日がふっと途切れ、抜けるような爽やかな青空を見上げるわたしたちは、新しい時を迎え、また、迎え入れられたのであります。

旧約聖書に登場いたしますアブラムも、この世のもろもろの戦い、それは、小さなことのように見えても、とても大切な事柄でありましたが、それらの苦労の出来事の後で、主なる神の御言葉が幻の中でアブラムに臨むということがありました。

「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」。

家族と財産のことなどで、苦しみ疲れ、その苦労を通過しましたが元のものを取り戻したアブラムに、主なる神は三つおっしゃいました。

まず、「恐れるな」ということです。そしてそれは「アブラム」とその人の名を呼んでいます。それは、今ここにある「あなた」という一人の人に向けられている呼びかけであり、また、主なる神のまなざしが、また、その御手が、その人に向けられているということであります。アブラムは、その神の御声に、この世の迷いから覚めるような思いであったのではないでしょうか。主の第一声は「恐れるな」ということでありました。

次に、主は「わたしはあなたの盾である」とおっしゃいました。

主が、ただそう語りになられたというだけではなく、実際の力となったのでありました。近くにある時も、遠くにある時も、主は、そのみ力を現わされ、まさに、力となってくださったのです。「盾」とは、飛んでくる敵の矢や剣を防ぐものであります。主は「わたしはあなたの盾である」とおっしゃいます。そして、聖書では「盾」というのは信仰を表し、信仰の盾により襲ってくる火の矢をことごとくはじくだけではなく、その火を消すことができるのです。

そして、主なる神はおっしゃいました。「あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」。

主なる神は、報いをお与えになり、それは、極めて大きいであろうとおっしゃいます。そして、その報いとは、愛と平和に満たされているので非常に大きいとおっしゃられるのです。

主なる神は、幻の中でアブラムを連れ出されます。立つところ、見るところを変えられるのであります。そして、こうおっしゃいます。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」。

主なる神は、非常に大きな報い、大いなる祝福を、「星を数えることができるなら、数えてみるがよい」と、夜空満天の星々のもと、「あなた」という人に向かって語りかけるのであります。曇っているから見えないのではありません。街の明かりが明るすぎるから見えないのでもありません。数え切ることのできない星は、今、この時もあるのです。

天を仰ぐということを主はお教えになられます。

しかし人々の間では、様々な疑問が生まれます。そしてそれは、自分たちの生きるこの社会と大きく関係しているということができます。

今日の聖書、新約聖書の使徒言行録1章6節にはこうあります。「さて、使徒たちは集まって、『主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのはこの時ですか』と尋ねた」。

「使徒たち」というのは、主イエスの弟子たちということでありますが、この時、主イエス・キリストの十字架の死と復活に、直に接していた者たちということであります。彼らは、主イエスと共に歩んで、主が何を行い、何を語られたのかを見て来ました。

また、主に近づく時もありましたし、主から遠ざかる時もありました。主イエスは、彼らをそれぞれ受け止めてくださいました。

すべての人々の罪の赦しのため、苦難を受けられ十字架の死につかれ、そして、復活させられた主イエス・キリストは、弟子たちに現れました。そして、ご自分が生きておられることを、数多くの証拠を持って、使徒たちに示されたのでありました。

「手に打ち付けられた釘の跡を見なさい」「脇腹を突き刺した槍の跡を見なさい」というように。十字架上で死なれ復活された主イエス・キリストは、そう示されたのでありました。

主イエスの弟子たちは、はじめは驚きに満ちていましたが、そのように近づかれる復活の主イエスを、次第と疑う者はいなくなっていました。そして、苦難と十字架の前に、主イエスがおっしゃっておられたこと、行ってくださったことを思い出し、それは、この復活の主とまったく同じお方だと、知ったのでありました。

すなわち、苦難の前と、そして、苦難の後も、このお方は生きておられるということであります。

復活させられた主イエス、40日間にわたって弟子たちに現れ、神の国についてお語りになられました。神の国というのは、神がご支配してくださるということであり、神の愛があまねく広げられるということであります。

そして、復活の主イエスは、弟子たちにこう告げられました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父から約束されたものを待ちなさい。あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」。

主イエスは「父なる神がすでにあなた方に約束しているものがある、あなた方は約束されている者なのだから待ちなさい」とおっしゃるのです。

そしてそれは、聖霊による洗礼バプテスマであり新しく生まれるということであります。聖霊によって、新たに生まれ、神の御言葉によって生きる者となり、神の御言葉の種蒔く者となり、神の御言葉によって魂に慰めを得る者となって、神の愛と平和のご支配のもと生きる者となるのです。

しかし、使徒と呼ばれる弟子たちは、「国を建て直してくださるのはこの時ですか」と主イエスに問います。 すると主イエスはお答えになられました。7節8節「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。使徒たちは、この世の国を見ていました。それは、彼らがすでに生き、慣れ親しんでもいる問題山積の国。彼らは、この「国の立て直し」ということに目を向けていました。それが、その時、彼らの体感していたことでもあったからでありました。

しかし、主イエスは、「父なる神が」とおっしゃって、その権威が、その力が、現される時や時期は、あなたがたには分からないとおっしゃいます。そして、主イエスご自身もご存知なく、ただ父なる神のみがご存知であるとおっしゃるのです。それは、わたしたちに不確かさから来る不安を与えるためにではなく、神のみがご存知であるという平安があり、そして、神への信頼につながる平安があり、さらに、この盾によって守られているという平安があります。

この平安は、キリスト・イエスを心の内に住まわせ、わたしたちを愛に根ざし、愛にしっかりと立つものとしてくださる平安です。平安の中に祈り念ずる。そして、時を定め、時期をお定めになられる神は、聖霊をお与えになり、聖霊に満たされると力を受けるのであります。

そして、キリスト・イエスの愛が大きく広いように「地の果てに至るまで」と言えるほどに広く、キリスト・イエスの証人となるというのです。そのような力が、聖なる霊にはあるというのです。

9節。「こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて、彼らの目から見えなくなった」。

死よりよみがえり復活された主イエスが、聖霊の力、そして、その力により証人となる、ということを話し終わると、主は、天に上げられました。弟子たち、すなわち使徒たちは、目の前で天に上げられて行く主イエスを見ていたので、天を見上げ、天を仰いだのでありました。

しかし、雲に覆われ、それまで見えていた主イエスと使徒たちは離れてしまいました。信頼するお方が離れて、雲に覆われ見えなくなる、しかし、その時、天を見上げる者たちに開かれ示されたのは、約束されたものを待つということでした。

時を定め、時期をお定めになられる父なる神が、約束されたのです。その主なる神に対する信頼は、主の約束を信じることです。

苦しみを受ける時、身に覚えのないことで責められなじられる時、この主を信頼するところに聖霊の力があり、聖霊の慰めと助けがあります。

そして、10節11節。「イエスが離れ去って行かれる時、彼らは天を見つめていた。すると白い服を着た二人の人がそばに立って言った。ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。

使徒たちが天を見つめていると、白い服を着た二人の天使たちが現れ、そばに立ちます。

信頼するお方が離れ去ってしまったことにただ呆然とし、途方に暮れている使徒たち、彼らに天使たちは告げます。「主は来られる」。

あなたがたが見上げ、仰ぎ見たその同じお姿で、主は再び来られるというのであります。あなたを愛し、わたしたちを愛され、救いの御手を絶えず差し伸べてくださる力ある主は、父なる神の御座である天を見上げ、天を仰ぎ見る者と共におられます。

そして、わたしたちの声にならない祈りを、主はお聴きになられ、天に上げられるのです。この地で、祈る人々に聖霊の慰めと助けが豊かにあるように。